この前、あんた「三輪」ってすごくいい苗字なんだからね!って熱弁された。
奈良にある三輪山がうんちゃらかんちゃら、、、、
おかん、っちゅうもんは総じて何言ってるかわからんもんなので、
自分でちょっと調べてみた。
中学生の授業ぶり?に古事記を読んでみて、
内容は日本を作った神々たちの物語なんだけど、
(ピンと来るワードでいうと、3種の神器やら、ヤマタノオロチやら、出雲大社、天照大神などとか)
ちょいちょい出てくる「三輪」の文字。。やべーこういうのテンションあがるわ。
三輪の由来についても色々と書いてあったんだけど、まとめると、
三輪っていうのは三輪山(奈良県)から始まった苗字。
三輪山は太古より神が宿る山とされ、その山自体が神体であり、
そのを神体とする大神神社(おおみわじんじゃ)は日本最古の神社。
http://ja.wikipedia.org/wiki/三輪山
http://ja.wikipedia.org/wiki/大神神社
http://plaza.rakuten.co.jp/gundayuu/diary/20090719/
「三輪の由来」の、「三輪山の名前の由来」は下記のような伝説がある。
----------------------------------------
この三輪山には、その名の由来とされる神話が残っています。
『陶都耳命(スエツミミノミコト)には、活玉依姫(イクタマヨリビメ)という美しい姫があった。
ある夜の真夜中に、世にもまれなりっぱな若い男がきて、姫と夫婦のちぎりを結んだ。
間もなく姫は妊娠した。父母は驚いた。「お前はたしかに妊んでいるが、夫がいないのにどうしたのか。」と問うた。
姫は、「名も何も知りませんが、姿のたいへん麗しい男の人が毎晩きて、夜明けになりますと、どこかへ帰って行きます。」と答えた。
「今夜その男がきたら、寝床のあたりに赤い土をまいて置き、緒環(おだまき)の絲の端を針にとおして、男の着物のすそに刺しておけ。」と父母は教えた。
姫は教えられた通り、衣のすそを針に刺しておいた。
夜が明けてから見ると、室の周囲の赤土には足跡はなく、糸は戸のかぎ穴からぬけ出て、三輪山の神の杜に入り、家には緒環にわずかに三輪だけが残っていた。
それからこの地を三輪と呼ぶことになった。』
http://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/46208667.html
----------------------------------------
で、自分は名古屋出身なんだけど、それも納得。
-----------------------------------------
三輪氏は出雲神大国主の子孫で出雲を代表する氏族です。
その三輪姓がどこに多いかを調べれば、興味深い結果を見ることができます。
岐阜県60位、愛知県92位、山口県149位、三重県200位、宮崎県200位
三輪氏は2世紀の『倭国大乱』で飛騨氏族(天孫族)を破り政権の座につきました。
大和を占領した後に、飛騨国にも攻め込んでいます。
それで三輪姓は岐阜県が一番多くなっています。
美濃という国名も「三輪」→「三ノ輪」→「みの」と変化したものと思われます。
岐阜は「岐」=「分かれ」、「阜」=「丘」であり、「分かれの丘」=「天のヤチマタ」のことです。
愛知県も飛騨の勢力範囲です。
http://rokujigen.iza.ne.jp/blog/entry/962238/
-----------------------------------------
-----------------------------------------
秀吉の姉の夫で犬山城の城主だった三好氏は三輪の一族といわれている。
で、その次の城主は三輪姓。ちなみに尾張一宮に大神神社がある。
三輪の血を引く豊臣に織田(浅井)の血が入り、その娘が九条家へ嫁いでいる。
その九条家の数代後の九条節子が後の大正皇后。サーヤにも繋がりますよ。
隣の岐阜県上石津にも大神神社があり、三輪姓が数多く確認されている。
近くの関ヶ原や三重県との県境方面にも三輪姓が多く見られる模様。
地名に三輪が残る地域も数ヵ所確認済み。大神ゆかりの寺院などもある。
「明治に入って一つの集落がまとまって三輪姓を採用した」では
説明がつかないほど広範囲に三輪姓が見られる。
関ヶ原の合戦の際に島津氏の敗走を手助けしたのは岐阜の三輪氏。
尾張から美濃辺りは地理的に近いので、大和の勢力の足跡が強く残っている。
岐阜県の三輪加茂市は三輪の加茂氏(鴨氏)に由来するが、
鴨氏は三輪氏と同族といわれているらしい。
地域の歴史を調べただけで古代史マニアではないので知識はここまで。
奈良~京都ほど調査が進んでいない周辺地域に隠れているものがある。
歴史は奥が深すぎる。いつか全貌がわかるというものでもないし。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1149638384/92-132
-----------------------------------------
その他にも、
-----------------------------------------
【三輪氏/大神氏】 出雲神の嫡裔、大国主命の神裔と伝えられる神代以来の大族。
大和国磯城郡三輪山を根拠として三輪氏族と呼ばれ、後裔の大神氏は神官や楽人として活躍する。
豊後大神氏も大和大神氏と同じ三輪氏の分流であるが、一部が藤姓大友氏の系譜と交錯している。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02106.htm
-----------------------------------------
<古代姓>
古代姓の42種のうちのひとつで、ミワの原義は「神」。
「神」、キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
今まで、「電話でミワっていいづらいし。。セ○テーニのミワです。って、さらににいいづれぇし。。」
と気に入ってなかったけど、、ちょっと見直したよww
ちなみに、下の真揮(マサキ)って名前は、親が名づけたものではなく、
当時占い師にいくつか名前を作ってもらいそこから選んだらしい。。ちょっと、、、頼むよ。。。
まぁ、”かんたろう”だか”かんざぶろう”を選ばなくてくれてありがとう。
みんなも名前のルーツを調べてみると面白い発見があるかもね。
夏にでも三輪山にいってくるか~
僕も三輪なんで、おもしろく読ませてもらいまいた ^^
返信削除私も三輪なので、知らなかった知識が増えてうれしいです。
返信削除三輪です。楽しく読ませていただきました!
返信削除北海道では数少ない苗字です。参考になり、楽しかったです。ありがとうございます。
返信削除私も三輪なんですけど、三輪にそんなにも深いルーツがあったなんて知りませんでした!楽しかったです(*´∀`)
返信削除三輪氏。ようするに三輪にとってよそ者ということですね。わかります。
返信削除俺も三輪です!
返信削除しかも外国の血が混ざってます
興味深い話楽しかったです!
俺、自分の誕生日(1/25)に三輪山に行って何かを感じたいですね。
札幌の三輪です。
返信削除岐阜には、仕事でよく行くので次は、三輪由来巡りします!
兵庫県の三輪です。
返信削除奈良の三輪山と何か関連しているんだろうとは思ってましたが、
当ってたんですね。
夜な夜な来ては夜明けに帰るくだり、お前は俺かと思って読ませてもらいました。
そか、DNAに刻まれてたんですね。納得。
岐阜の三輪です。自分の実家の近くにも大神神社があります。昔、祖母から三輪三人兄弟が大和の国からここに移り住んだと聞いた事があります。
返信削除三輪です、言い難い苗字と思っていましたがまさに皆さんと同じ、三輪山に行ってきます
返信削除北海道出社の三輪です先祖は奈良の三輪の里と聞かされて来ました。
返信削除私も三輪です岐阜の山中出身自分の先祖をたどり10代くらいまで解りました。
返信削除楽しかった数ヶ月でした。
名古屋の三輪です、奈良が出所、神の苗字と聞いていましたがそういうことでしたか
返信削除岡山の三輪です。
返信削除室町後期位まで判っています。
戦国時代迄は、武士でした。
出雲の国から来たのでしょう。
愛知の三輪です、おじいちゃんの家が三輪なのですがそこの家長は代々名前に青という字を名前の中につけるらしのですが何か関係が有るのでしょうか…
返信削除父が秋田出身、現在栃木住みの三輪です。
返信削除今まで自分を奮い立たせるために友人に「俺は神になる男だ!」なんてふざけて言ってたのですが、
まさか苗字の意味がそのまんま神だったとは驚きました笑
名前に誇りを持てることは嬉しいですが、その分名前負けしない人間に成りたいものです。
どもども福岡の三輪です。興味本位で調べたら内容凄かったwwちなみにうちの先祖ブラジル移民したらしいです。
返信削除どもども福岡の三輪です。興味本位で調べたら内容凄かったwwちなみにうちの先祖ブラジル移民したらしいです。
返信削除静岡県(なから富士山の麓)の三輪です。昔、天皇争いをしたと聞きました。
返信削除愛知県の三輪です。小学校の修学旅行で奈良に行った時に三輪大神という看板を観てビックリ!それから調べ始めました。面白いですよね。出雲大社と繋がっているというのは最近わかりました。
返信削除母が 三輪でした。
返信削除ご先祖は 三輪山から お坊さんと 逃げてきた
と だけ 聞いたので くわしくは 分かりませんが
母の実家の 近所は 三輪さんが 沢山 住んでいます。
再び岡山の三輪です
返信削除日野郡史によると
欠史八代の孝霊天皇の歴史だと言が
備中は古代出雲属の石蟹魁荒神が統治していた
1800年前に、に吉備津彦が平定した。
さらに孝霊天皇の鶯王の墓と皇女の墓を築く際
東西の百々福神社に石蟹から
天翔ける天狗が石を運んだと日野郡史に有る
神社で東西の社があるのは珍しい。
我々は古代出雲の末裔だと思う。
千葉から奈良に来た三輪です。
返信削除小さい頃地図で見た三輪山
大きくなったらいってみよう!
と思ってたら奈良にすんでました。
因みに私の本籍地は大神神社の住所に
しています。
岡山の三輪です
返信削除✕百々福神社ではなく
〇楽楽神社でしたお詫びして訂正いたします。
倭国の大乱の際孝霊天皇は吉備から
出雲平定に向かい古代出雲族の石蟹氏を打ち破り
更に北へと侵攻しました、娘の福姫と妻の細姫を亡くし
日南町の楽々神社の近くに御陵を築きました。
鬼林山の攻撃をしていた孝霊天皇は膠着状態となり
吉備から稚武彦命を呼び寄せ鬼林山を攻め落とした。
西伯郡では成長した皇子の鶯王が総大将となり
鬼住山で出雲軍との戦いで戦死します。
近くの宮原に楽々神社祭りました。
その後鬼住山の敵を降しまた。
これが桃太郎のおとぎ話になるのでしょう。
吉備で戦った温羅の伝説もあります。
私も旧姓が三輪です。父が自分のルーツを探るため、岐阜の南伊勢?に探しに行ったようです。堀のある立派なお屋敷だったようです。未だにルーツが判明していないし、家紋がうちとその近辺のお墓にあった家紋が違っていたようで、決定的なものはなかったようです。でも、父が亡くなってしまったため、お蔵入りになりました。一説では、岐阜の豪族出身と出雲の出身とも聞きました。滋賀県出身です。
返信削除東京からきた愛知県の三輪です
返信削除楽しくよませてもらいました
山口の三輪です。奈良の時代山口で奈良の大仏の銅を産出に携わり、その流れで、後に山口県の阿川で金の産出(毛利本家の飛地)に携わった様です。
返信削除